オリックスバッファローズの宮城大弥選手は2023年のWBC(ワールドボールクラシック)にも参加しており有名です。
オリックスのリーグ優勝にも貢献していおり、若手の実力選手です。
実は宮城選手ですが少年時代の暮らしはかなり壮絶だったようです。
そこで今回は宮城選手の壮絶な生い立ちについてご紹介したいと思います。
宮城大弥の貧乏な生い立ち5選
壮絶な経験から球界初の基金を立ち上げがすごい
宮城大弥の貧乏な生い立ち5選
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宮城選手は沖縄県の宜野湾市に生まれました。
宮城選手は10人家族です。
ご両親は再婚同士のため、前の結婚時の子供も含めて兄弟が8人いるそうです。
なかなかの大家族ですよね。
姉や兄もいますが生活をともにしていたのは妹の弥生さんとご両親です。
妹の弥生さんの情報はこちらから!
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なぜ、少年時代が貧しかったのかというと
父親は中学時代に交通事故にあい、左腕が動かなくなってしまった
そうです。
そのため、父親が定職に就くことが出来ず、
生活保護や福祉協議会に頼らざるおえない生活
でした。
母親もパートをして何とか生活を支えていたようですがそれでも生活は苦しかったそうです。
それでは、一体どんな生活をしていたのでしょうか?
水道や電気が止められる
水道料金が支払えず、水道が止められたこともあるそうです。
運良くやかんに残っていた水を沸かし、母親が宮城選手の体を拭いてあげたこともあったようです。
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こういった涙ぐましい両親のおかげで宮城選手は野球を続けてこられたんですね。
また、電気代も払えずに、頻繁に電気が止まっていたそうです。
そのため、マッチとローソクが手放せない生活でした。
野球の遠征費が支払えず、盗難したと疑われる
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野球の遠征費用は各家庭の負担となります。
お金のない宮城家ではその遠征費用の捻出さえも難しかったのです。
引っ越しに使う予定だったお金を遠征費用に充てることもあったようです。
生活費を削って捻出したお金を影でチームメイトの母親達が
遠征費用は盗んだのではないか
と疑われたりしたこともあったそうです。
貧乏な家だからといって、盗んだと影で言うなんてひどい話ですよね。
具のないカレーを1週間食べる
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カレーの具さえも買えなかったということは相当生活は苦しかったと想像できますね。
宮城選手はこのカレーライスを「シーフードカレーじゃなくて、ノーフードカレーだね」と言っていたそうです。
また、月末近くにはメリケン粉を焼いてご飯にしたりしていたそうです。
育ち盛りな子供に栄養ある料理を食べさせてあげられなかったことはご両親も辛かったのではないでしょうか?
グローブが買えない
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子供用の革グローブは購入すると2万円ほどします。
その2万円は宮城家では2週間の生活費だったそうです。
そのため革のグローブが購入できず、
700円のビニール製のおもちゃのグローブを使用
していたそうです。
もちろんビニールですから手には馴染まず、硬くて使いにくいです。
そのため、宮城選手は柔らかくしようと電子レンジで温めて、溶けてしまったこともあったそうです。
宮城選手はそれでもそのグローブを大事に抱えて眠っていたそうです。
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ビニールのグローブで野球って考えただけで痛そうです。それでも頑張る宮城選手は本当に野球が大好きだったんですね。
ユニフォームもスパイクもボロボロ
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宮具選手は新しいユニフォーム等を購入するお金がなかったため、
ユニフォームはつぎはぎだらけでスパイクはガムテープで巻いて試合に出場
をしていたそうです。
壮絶な経験から夢の基金の設立!
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宮城選手には貧乏な学生時代に父親と約束したことがあります。
それは
プロ野球選手になれたら貧しい子達が野球を続けていける環境を作る活動をする
です。
その後、本当にオリックスにドラフト1位で入団し、プロ野球選手となった宮城選手は約束を果たすべく、行動されました。
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まずは、入団後に
契約金の一部を寄付
しました。
その後、貧乏家庭の子に
野球用具を支援する宮城大弥基金
立ち上げました。
沖縄の3人を選んで用具の支援をしているそうです。
しかもその子達が18歳になるまで面倒をみる予定とのことです。
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自分のつらい経験をもとに同じ境遇の子を助けてあげられる宮城選手はとても素晴らしい人間力の高い人ですね。
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